2009年10月18日日曜日

福沢諭吉は、2009年に何と言うか?

諭吉が2009年の現代に生きていたら、彼は何というだろうか?

◆日本における戦争責任意識が、歴史を正確に反映するまで成長したとき、その時こそ日本は国際社会で尊敬を受けることができる.

◆そのためには、国民の主権者意識(民主主義)が、十分に成熟することが必要である.

◆これに成功しなければ、日本は「カネ」のために自分でつぶれることになるだろう.

◆私は、十五、六歳のころ、「何になりたいか」と兄に聞かれて、「日本一の金持ちになりたい」といった(「福翁自伝」).
  • 金持ちになるためには、国民をだまして「金と命を出させて、近隣諸国の領土・資源・労働力・文化財を奪うことが必要だ」と考えた.
  • そのためには、教育と報道で世論をつくることが必要であった.教育では慶応義塾を、報道では時事新報を創設した.
  • そして台湾・朝鮮半島・中国全土を植民地化するためには、戦力を持ち、「国権を皇張すること」が必要と宣伝した.(1881「時事小言」)
  • それが成功して、日清戦争(1894-1895)では、台湾の植民地化を達成し、同時にそれを報道した「時事新報」の発行部数を伸ばして、「金持ちになる夢」に大きく近づいた.
◆日清戦争は、台湾の植民地化、日露戦争、朝鮮の植民地化、関東軍による謀略からスタートした対中侵略15年戦争、さらに太平洋戦争へと進み、1945年には第1回の破綻を見た.

◆この破綻では、天皇は「ここに国体を護持し得て」と天皇制維持の希望を出し、連合国の主力・アメリカの占領政策で、天皇制とその官僚思想と制度が維持された.

◆戦争責任のアイマイ化と、天皇を利用した財界と米国の2つの力が2009年までは自民中心の政治として、国民を支配してきた.

◆2009年、そのシステムは壊れたが、その後の展開はまだ見えていない.(注)

◆しかし、その明治以降の矛盾の積み重ねは、数年後の財政の破綻により、最大の悲惨さともないながら、終わりとなるだろう.日本は、終わりを乗り越え、新しい道に進みはじめるだろう.

(注)その後、2010年5月現在、以下の発展がありました。 
①民主も、消費税増税・米軍基地容認で自公と同じであることがわかった
②現時点は過渡的な段階であり、国民が政治をどう前に進めるかにかかっている