「日本では『天皇』が国家の最高権威でありつづけた」という人がいます.(雑誌「正論」2009年5月号)
「織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の全国統一事業にしても、天皇という権威の助けを得られなければできなかった」
当時の常識や権力に囚われず、新しい考え方や文化を積極的に取り入れる見識の広さ、合理性と冷徹さを兼ね備えた知性によって、統一者のいなかった政治的混沌を収集に向かわせた人物である。その事業は大方向を示したところで重臣の一人・明智光秀の裏切りに遭い、自刃に追い込まれたことによって頓挫した。
しかし、政権の実質的後継者となった羽柴秀吉が、信長の築いた足場をもとに天下統一を進め、ついには成し遂げることとなったことから、豊臣秀吉が継ぎ、徳川家康が完成させる形となった日本近世の形成事業の創始と言うべき位置づけにあった政治家である。─ wikipedia から
信長の時代は約500年前だが、日本にも10万年単位の歴史がある.
ナウマン象がいたころは、約2万年前であった.
2万年の歴史で見ると、500年は40分の1、2.5パーセントだ.
2.5パーセントで全体を見るのは、若干短見のようだ.
しかし、諭吉も大胆だった.
彼は、少年時代の「大金持ちになりたい(福翁自伝)」夢を実現するためには、天皇制を支持したのだ.
◆「大金持ち」になるためには、略奪・侵略・殺戮・戦争が必要だ.
◆「お前たちが死んで、私たちが略奪物を取るから、戦争に行け」では、賛成してもらえない.
◆そこで、天皇制を利用しよう.
◆「私たちのため」ではなく、「天皇のため」「国のため」「大義のため」に死んでもらおう.
◆そのために、靖国神社も用意しておこう.「英霊になる」なら、死んでも文句はないだろう.
◆そこで、彼は、天皇制についてこういった.
◆「立君の政治」は、「人主が愚民を篭絡するの一欺術」 (天皇制は、支配者がバカな国民をダマスための手段だ)
(福沢諭吉全集 第5巻271ページ)
◆彼は、そのリクツを実行して、台湾・朝鮮の植民地化、対中侵略戦争を教育・宣伝して、日清戦争では自分の新聞の発行部数を大いに伸ばして大もうけをした!
◆彼の教えは、日清・日露戦争から、対中侵略15年戦争・太平洋戦争を通じて、2009年の現在にいたるまで続いている.(指導者としての立場は、一万円札の肖像として認められている)
日本では、まだ諭吉の教え子たちが「人主」として生きている.
