福沢諭吉は、天皇制を「国民をだますための手段」だと理解していました. 人主は「愚民を篭絡するの一欺術」 (天皇制は「バカな国民をだますための一つの詐欺的な手法である」) (1881年「帝室論」福沢諭吉全集第5巻271頁) 諭吉は「金もうけ」のために、天皇制は必要だと考えていたのです. 「まず日本一の大金持ちになって、思うさま金を使うてみようと思います」 十六、七のころ、兄に聞かれてこう答えています. (岩波文庫 新訂[福翁自伝」p20) そこで、諭吉は「天皇制は国民をだますための手段」であるが、そう指摘されたときにはどうするかをつづけて論じています.(「帝室論」) 「この説をなすものは、畢竟(ひっきょう)政治の艱難に逢わずして民心軋轢(あつれき)の惨状を知らざるの罪なり」 (そう主張する者は、政治的に未熟であり、困難な政治の経験のない者である. その時天皇制がなければ、国民は悲惨な目にあうことになるのだ) このように答えて、天皇制批判をかわすべしと論じているのです. 昭和天皇は、皇太子(2009年現在の天皇)の教育のために小泉信三(当時慶応義塾塾長)を家庭教師に任命しましたが、小泉信三は諭吉の「帝室論」を教材のひとつとして皇太子の教育をおこなったのです.(小泉信三「ジョオジ五世伝と帝室論」) おそらく、昭和天皇も諭吉の「帝室論」の中身をよく知っていたのでしょう. 諭吉は、慶応義塾を創設して教育で、また新聞「時事新報」の社主として報道で、台湾・朝鮮の植民地化から、中国の北京までを占領せよと宣伝をおこない、戦争(日清戦争)を通じて「時事新報」の発行部数を大いにのばし、大もうけをして少年時代の夢をはたしたのです. 後に、諭吉は自分のことを「政府の陰(かげ)のお師匠さま」といっています. (「全集」第20巻414頁) 2009年現在、諭吉はお金の神様として、また天皇制賛成論者として一万円札の肖像におさまっています. |