2009年3月10日火曜日

英国もフランスも、人の土地を奪っている! 
(対中侵略15年戦争の諭吉の布石)

「今は英国もフランスも、競争して人の土地を奪っている」

「今は競争世界で、英国なり、仏国なり、・・・皆吾れ負けじと、人の隙に付け入らんとするの時節なれば、理非にも何も構ふことはない、少しでも土地を奪へば、暖まりこそすれ・・・遠慮に及ばぬ、「さっさ」ととりて暖まるがよい」(1881年「宗教の説」福沢諭吉全集第19巻711頁 「福沢諭吉のアジア認識」299頁)

「支那と戦に及ぶこともあらば、・・・真一文字に進て其喉笛に喰付くこと緊要・・・北京、是なり」(1882年 「喉笛に喰付け」全集第8巻260頁)

「支那国果たして自立を得ずして諸外国人の手に落ちることならば、我日本人にして袖手傍観するの理なし. 我も亦奮起して共に中原に鹿を逐わんのみ」(1882年 全集第5巻313頁)

「朝鮮は固より論ずるに足らず、我目ざす当の敵は支那なるが故に、先ず一隊の兵を派して朝鮮京城の支那兵を塵(みなごろし)にし、・・・. ・・・両国の戦争となることあらば、・・・日本の勝利必然なり」(1884年 「戦争となれば必勝の算あり」(全集第10巻159~)

「目につくものは分捕品の外なし.何卒今度は北京中の金銀財宝を掻き浚えて、彼の官民の別なく、余さず漏らさず嵩張らぬものなればチャンチャンの着替えまでも引つ剥で持帰ることこそ願はしけれ. 其中には有名なる古書画、骨董、珠玉、珍器等も多からんなれば、・・・ 一儲け ・・・. ・・・其老将等が、生擒の仲間で幸にまだ存命にてあらんには、・・・之を浅草公園に持出して木戸を張り、・・・之に阿片煙を一服させると忽ち元気を吹返しましてにこにこ笑ひ出します、・・・御慰み」(1894年 「漫言」全集第14巻570頁)

この諭吉の教えにしたがって、日露戦争(1904~1905)年の後、旧日本軍が「対中継続的侵略の決意」として、大連近郊より持ち帰った唐時代の文化遺産「鴻臚井(こうろせい)の碑(ひ)」があります.

それは、1300年ほど前に作られた石碑で、その時代のその地方の唐の統治を示す歴史的な記念碑です(朝日新聞 2006年5月28日). おそらく、旧日本軍は、中国の統治を日本が奪うという意思の確認のために、略奪して日本に持ち帰ったものと考えられます.

この碑は、明治天皇に献上され、21世紀の現在でもひそかに他の略奪物と共に、宮中に保管されています.

日本政府あるいは天皇家は、これらの文化財を含む略奪品を中国へ返還する意思を表明していません.
 まさか、永久に返還する意思はないということではないとは思いますが.


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